会社を退職する理由で、堂々の1位を独走するものがあります。それが「人間関係」です。
心理学者のアルフレッド・アドラーは言います。「人の悩みとは、人間関係に収束する」と。
どんな悩みの種も、人間関係が根底にあるのです。逆に言うと、人間関係が良好になれば、
人生のほとんどが良好になると言っても過言ではありません。
今回はそんな「人間関係」の正体を解説していきます。
目次
相手によって変わる自分の反応
同じ言葉でも、Aさんに言われると何も思わないけれど、
Bさんに言われると腹が立つなんてことがあります。なぜでしょうか?
それは、Aさんとの間に「ラポール」が築かれているからです。
ラポールとは、臨床心理学の用語の一つで、
セラピストとクライエントの間に信頼関係か築かれている事を指します。
心が通じ合っているから、何でも話せる状態です。
人間関係は、この「ラポール」が構築されているか否かで、
180度変わってしまうものなのです。
Aさんとの間には、ラポールが構築されているからすべてポジティブに聞こえます。
Bさんとの間には、ラポールが構築されていないからすべてネガティブに聞こえます。
では、どうしたらBさんとラポールを築くことができるのでしょうか?答えは簡単です。
こちらから「先制攻撃」を仕掛けるのです。本当に攻撃するわけでなく、
苦手な相手に対して、こちらから先に「心を開いてしまう」のです。
自分が先に心を開くことで、
相手の警戒心が解かれ「あなたとは好戦的ですよ」とアピールできます。
最初は違和感があるかもしれませんが、次第に相手の反応が変わってきます。
相手も心を開いてくれるようになるのです。これを「返報性の原理」と言います。
人は何かされたら、何かお返ししたくなる心理を持っています。
良いことをされたら、良いことを返したくなるし、悪いことをされたら、
悪いことを返したくなるという単純な原理です。これを活用してラポール築くのです。
正論で人は動かない
正論は確かに正しいです。正論なしに世の中の規律は守られないし、
正論があるから権利が主張できるもの。
しかし、この正論は時に人を傷つけ、時に人を追い込みます。なぜでしょうか?
それは正しいことよりも、「大切なもの」があるからです。
その大切なものとは、「相手の気持ち」です。どんなに正しいことを主張しても、
その人にとってつらいものなら、その人にとっては正しいことではありません。
反対にどんなに間違っていることでも、その人にとって大切ならば、
その人にとって正しいということになります。どんな正論でも相手にとって正しくなければ、
相手は動かないでしょう。
人は社会人である前に「人間」です。
人間には感情があります。
この感情を無視して、相手を動かすことはできません。
仮に正論を振りかざして、相手が動いたとしても一時的なものです。
快く動いてもらうには、相手の感情を知る必要があります。
相手の立場になって物事を見ることで、相手の気持ちを理解することができます。
人を動かすのは正論ではなく、大切さです。
目の前の世界は自分が作りだした世界
同じ世界に住んでいるのに、人と人はなぜこんなにも違うのでしょうか?
何十年も連れ添った夫婦でも、血のつながった親子でも、100%わかり合うことはできません。
そこには大きな誤解があったのです。
あなたは今、目の前に広がっている世界は、実在していると思いますか?
正確には、「実在している」のではなく、自分が「実在させている」のです。
目の前に広がっている世界は、目で見たものを脳が認識し、
それを映像として映し出してるに過ぎません。
これは、自分というフィルターを通して、世界を見ていることになります。
つまり自分の「解釈」が映像化されていることになります。
そう考えると、一人一人が自分の解釈を映像化しているのだから、違って当然だと言えます。
さらにこの脳というものは、自分の興味の対象物にしか反応しないという性質を持っており、
事実を歪曲させます。
性別、年齢、世代、経験、好き嫌い、考え方、捉え方の違いで、更に細分化されます。
以上を踏まえた上で、他人と接すると「違って当たり前」と相手を許すことができるのです。
他人を許せないのは、自分を許せないから
「あの人の態度が許せない」「あのやり方は気に入らない」会社にいればこんなセリフ、
1度や2度聞いたことがあるかもしれません。
否、気づかぬうちに、自分自身がそんなセリフを言っているかもしれません。
人はなぜこんなにも他人を許すことができないのでしょうか?
それは「許せない」と思う時、無意識のうちに、
他人に自らの価値観を植え付けようとしています。
自分の価値観と違うことをする他人が許せない。
しかし価値観とは本来、個々のものであり、強制されるものではありません。
強制されたら瞬間、命令となります。
では、どうしたら他人を許すことができるのでしょうか?
それは他人を許すには、まず「自分を許す」ことから始めます。
自分を許すとは、「相手を許せない自分を許す」ということです。
人間は完全な生き物ではありません。
自分もどこかで不完全であるから、他人も同じく不完全であっていいのです。
他人を許せない行為は、他人に自分を投影して、完全さを求めています。
不完全である自分を許すことで、相手を自然と許すことができるのです。
自分を傷つけるのは、自分
職場であっても、家庭であっても「人に傷つけられた」と悩む人は、多いです。
「ひどいことを言われた」「暴言を吐かれた」確かに言われたことは事実です。
誰だって暴言を吐かれたら傷つくでしょう。
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
その落とし穴とは、「人に傷つけられた」のではなく
「自分で自分を傷つけている」ということです。
傷ついた原因は、相手に言われた言葉ではなく「自分が受けた反応」によるものです。
相手から言われた言葉を使って、自分で自分を傷つけたということになります。
同じ言葉でも、10人中10人傷つくとは限りません。
全くといっていいほど、傷つかない人もいれば、立ち直れなくなるほど傷つく人もいます。
そう考えると、言葉が原因で傷ついたことにはなりません。
自分の「思い方」によって、傷ついたことになります。
一方は「あの上司は、文句ばかりいう」
もう一方は「あの上司は的確に指摘してくれる」と捉え方で180度違います。
すべては自分の「思い方」次第なのです。
これらを踏まえると、この悩みの種は、自作自演であることに気づかされます。
まとめ
他人は自分が思うほど、自分を気にしてはいません。
自分を一番気にしているのは、自分です。
つまり悩みの種のほとんどが、過剰反応によるものだと考えられます。
過剰反応とは、アレルギー反応のことです。
アレルギー反応を起こしてしまうのは、自分自身が「アレルゲン」を持っているからです。
幸いこのアレルゲンは自分次第でどうにでもなります。
自分の正体を知ればいいです。
自分の正体を知ることで、心の対処ができます。
心の対処とは、「心の在り方」のことです。
自分の心の在り方を知ると同時に、他人の心の在り方を知ることにもなります。
こうして人間関係は楽になっていきます。
人間関係を楽にしてくれるのは、いつも自分自身です。